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Herman Miller Official Authorized Dealer|認定正規販売店

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Herman Miller Story

Herman Miller’s Vision for the Future

2025/12/05 By 片上太朗

ハーマンミラーが目指す未来

デ・プリーファミリー

ハーマンミラー(Herman Miller)は、人間工学・デザイン・サステナビリティを軸に、働き方の未来を形づくる家具ブランドです。創業家De Pree一族の思想からMillerKnollが掲げる未来、そしてアンディ・オーウェンCEOのビジョンまで、ハーマンミラーが目指す「これからの価値」を紐解いていきます。

 


1. ハーマンミラーとは

ハーマンミラー(Herman Miller)は、アメリカ・ミシガン州を拠点とするオフィス家具・ホーム家具メーカーです。

  • 高性能ワークチェア(アーロンチェア、エンボディチェア、セイルチェアなど)
  • イームズ夫妻やジョージ・ネルソンが手がけたミッドセンチュリー家具
  • オフィス空間全体の設計・ワークプレイス戦略

これらを手がける、「働き方と暮らし方を総合的にデザインする会社」です。

ハーマンミラー ジャパン株式会社(Herman Miller Japan)は、その日本法人として、オフィス家具・ホームオフィス向け家具を展開しています。正規販売店は、日本国内での販売とアフターサービスを担い、ユーザーとブランドをつなぐ役割を果たしています。

 

▶ ハーマンミラー製品一覧はこちら(THE CHAIR SHOP)

 

ハーマンミラー創業家

ハーマンミラーの歴史を語るときに欠かせないのが、創業家である D.J. De Pree(ディー・ジェイ・デ・プリー)、Hugh De Pree(ヒュー・デ・プリー)、Max De Pree(マックス・デ・プリー)の三人です。 彼らの意思決定と価値観が、現在の Herman Miller / MillerKnoll の企業文化とデザイン哲学の土台をつくりました。

 

D.J. De Pree:危機からブランドを生み出した創業経営者

1905年に前身となる家具会社に入社した D.J. De Pree は、やがて経営を担い、1923年に出資者の一人(義父)であった Herman Miller の名を冠し、社名を「Herman Miller」に変更しました。大恐慌のなかで倒産の危機に直面しながらも、「質の高いデザインと正直なものづくり」で生き残る道を選び、後にイームズ夫妻やジョージ・ネルソンらとの協働へとつながっていきます。

 

Hugh De Pree:近代経営と企業文化を整えた二代目

D.J. の長男である Hugh De Pree(ヒュー・デ・プリー) は、成長期のハーマンミラーを引き継ぎ、オフィス家具メーカーとしての基盤づくりを進めました。社員一人ひとりを尊重する企業文化や、長く働ける環境づくりに力を注ぎ、現在のハーマンミラーに受け継がれる「人を大切にする会社」というイメージを形づくった人物です。

 

Max De Pree:リーダーシップと「人間らしい組織」の思想

Hugh De Pree の弟 Max De Pree(マックス・デ・プリー) は、後にCEOとなり、著書『Leadership Is an Art(リーダーシップとはアートである)』でも知られています。彼は、ハーマンミラーのリーダーシップを「人の可能性を引き出すこと」として定義し、デザインだけでなく組織運営そのものも“人間中心”であるべきだと語りました。

 

De Pree 一族が築いたこの価値観は、現在の MillerKnoll における「Human-centered Design(人間中心のデザイン)」や、ウェルビーイング・サステナビリティを重視する姿勢にも色濃く反映されています。ハーマンミラーが目指す未来は、創業家が大切にしてきた「人と共に成長する企業」という物語の延長線上にあると言えるでしょう。

 


2. Knollとの統合

2021年、ハーマンミラーは同じくデザイン家具ブランドとして知られる Knoll(ノル) と統合し、新たな企業グループ MillerKnoll(ミラーノル) が誕生しました。

  • ミッドセンチュリーデザインを中心としたデザイン文化の共有
  • オフィス家具・ホーム家具・空間デザインのポートフォリオ拡大
  • グローバル市場における提案力・供給力の強化

統合の背景には、これらの戦略を含め

「20世紀に築かれた名作家具の思想を、21世紀の働き方と暮らしに合わせて進化させる」

というビジョンの共有だと考えています。

 

イームズ(ハーマンミラー)、ネルソン(ハーマンミラー)、サーリネン(Knoll)、ミース・ファン・デル・ローエ(Knoll)といったデザイナー/建築家たちに共通していたのは、「デザインとは、人間の問題を解決するための行為である」という思想です。

 

Herman Miller と Knoll の統合は、単なる規模拡大ではなく、「問題解決としてのデザイン思想」をより広い領域で具体化するための基盤づくりだと言えるでしょう。

 

 


3. MillerKnoll が目指す3つの未来軸

 

MillerKnoll(ミラーノル)のビジョンを、現場の販売・フィッティング経験から整理すると、次の3つの軸に集約されると感じています。

3-1. Well-being(ウェルビーイング)と人間工学

世界中の企業で、「従業員の健康・ウェルビーイング」が重要な経営課題となっています。 ハーマンミラーのワークチェアは、単に座れる椅子ではありません。

  • 姿勢の安定とサポート
  • 呼吸や血流への配慮
  • 首・肩・腰への負担軽減
  • 長時間作業における集中力維持

といった要素を総合的に考え、日々の仕事に直結する変化を生む「人間工学に基づく道具」です。 ハーマンミラーが目指す未来のひとつは、「椅子を通じて働く人の健康とパフォーマンスを支えること」と言えます。

 

3-2. Sustainability(サステナビリティ)と長寿命設計

アーロンチェア リマスタードモデルに「海洋再生プラスチック」が採用されているように、ハーマンミラーは環境負荷を低減する取り組みを強化しています。

しかし、サステナビリティは素材だけの問題ではありません。

  • 10年以上使えることを前提に設計された構造
  • 使い捨てではない修理・パーツ交換を前提とした設計思想
  • 長期保証(ワークチェアで最大12年)

これらを備えた「長寿命プロダクト」をハーマンミラーは、つくってきました。適切に使われている個体は、驚くほどしっかり機能しています。これは、“長く使えること自体がサステナブルである”という価値観の表れです。

 

3-3. Future of Work(働き方の未来)とワークプレイスデザイン

コロナ禍以降、「オフィスに全員が集まる」ことが前提ではなくなり、働き方のバリエーションが一気に広がりました。

  • ハイブリッドワーク
  • リモートワーク・在宅勤務
  • フリーアドレス
  • 集中作業エリアとコラボレーションエリアの切り替え

 

MillerKnoll は、椅子単体ではなく、「人・空間・テクノロジーを含めた“働く環境そのもの”を設計する会社」へとシフトしています。

アーロンチェアやエンボディチェアは、その中核にある「パフォーマンスシーティング(Performance Seating)」として位置づけられています。つまり、「どこで働いていても、身体に負担をかけず、集中して仕事ができる状態」をつくるインターフェースなのです。

 

 

 

 

 


4.  ハーマンミラーが目指す未来

ハーマンミラーが MillerKnoll として目指している未来は、

  • 人間中心の働き方(Well-being)を支えること
  • 環境に配慮しながら長く使える家具を提供すること
  • 多様な働き方・暮らし方に対応できるワークプレイスをデザインすること

だと考えています。

1脚の椅子を選ぶことは、これからの10年・20年の働き方と健康に投資することでもあります。私たち正規販売店も、このビジョンを、「お客様一人ひとりの身体・仕事・生活」に翻訳して提案する役割を担っています。

 

 

 


5. アンディ・オーウェンCEOのビジョン

アンディ・オーウェンハーマンミラーとノルを統合し、MillerKnoll を現在のグローバルデザイン企業へと導いているのが、現CEOのアンディ・オーウェン(Andi Owen)です。「デザインを通じて人々の働き方と人生をより良くする」というハーマンミラー本来の思想を、現代の文脈に合わせて再定義したリーダーとして高く評価されています。

 

5-1. ハーマンミラーとKnoll統合を“思想の共創”へと昇華

アンディ・オーウェンは、20世紀から続くデザイン哲学を未来の働き方につなげる統合へと導きました。

5-2. 「Future of Work」を明確な企業ビジョンとして提示

ハイブリッドワーク・デジタルワークが当たり前になった現代において、アンディCEOは、

  • 人間中心の働き方(Human-centered Work)
  • ウェルビーイング(Well-being)の向上
  • 空間・椅子・テクノロジーを統合したワークプレイス戦略

を MillerKnoll の中心ビジョンに据えています。

これはまさに、アーロンチェア・エンボディチェアが長年追求してきた“働く人を支える椅子”という思想と一致します。

 

5-3.  サステナビリティと素材革新の推進

アンディ・オーウェンの強いリーダーシップによって、

  • 海洋再生プラスチックの活用
  • 持続可能なサプライチェーン
  • 長寿命設計を前提としたプロダクト開発

が MillerKnoll の重要戦略として定着しました。

これは単なるマーケティングではなく、「家具は長く使えてこそ価値がある」というハーマンミラーのDNAと完全に一致する方向性です。

 

5-4.  DEI(多様性・公平性・包摂性)の推進

アンディ・オーウェンは、ハーマンミラーの歴史にある「すべての人のためのデザイン(Design for All)」を現代的に発展させ、組織運営・商品設計の両面で実行しています。これはアーロンチェアのサイズ展開や、エンボディチェアのユニバーサルな設計思想とも深くつながるものです。

「人間と働き方の未来」という視点から製品開発と企業運営を行っている点は、他の家具ブランドにはない強みです。

 

 


ハーマンミラーとMillerKnollに関するよくある質問(FAQ)


ハーマンミラーとはどのようなブランドですか?

ハーマンミラー(Herman Miller)は、アーロンチェアなどの高性能ワークチェアと、 イームズやネルソンの家具で知られるアメリカの家具ブランドです。 人間工学・デザイン・サステナビリティを重視し、働き方と暮らし方をデザインする 企業グループ MillerKnoll(ミラーノル)の一員です。


Herman Miller と MillerKnoll の違いは何ですか?

MillerKnoll(ミラーノル)は、Herman Miller と Knoll を中心とした 家具・インテリアブランドのグループ名です。 その中でハーマンミラーは、従来どおりワークチェアやオフィス家具、 ミッドセンチュリー家具を展開するブランドとして存在しています。


ハーマンミラーの椅子はなぜ高価なのですか?

長年の人間工学研究にもとづく設計、長寿命を前提とした構造、 修理可能なパーツ構成、環境配慮型の素材選定、 そして最大12年の長期保証など、長く使うほど価値が出る要素が多く含まれているためです。 単なる「高級家具」ではなく、働く人の健康とパフォーマンスを支える プロフェッショナルな道具として設計されています。


ハーマンミラーの正規販売店から購入するメリットは何ですか?

正規販売店では、国内正規品としての長期保証に加え、 体格や作業内容に合わせたモデル・サイズ・調整方法の提案を受けられます。 購入前のフィッティングや相談、購入後のメンテナンスや修理対応も含めて、 長く安心して使うためのサポートが受けられることが大きなメリットです。


ハーマンミラーが目指す「未来」とは何ですか?

ハーマンミラーが目指す未来は、単に椅子や家具を提供するのではなく、 働く人・組織・社会全体のウェルビーイングを高めることです。 人間工学・サステナビリティ・Future of Work といったテーマを通じて、 より健康的で創造的な働き方・暮らし方をサポートしようとしています。 そのビジョンを具体的な製品やワークプレイスデザインとして具現化しているのが MillerKnoll グループです。




 

カテゴリHerman Miller, Herman Miller Story

Willi Fehlbaum

2022/07/06 By 片上太朗

ウィリー・フェルバウム

チャールズ・イームズ(写真左)、エリカ・フェルバウム(写真中央左)、ウィリー・フェルバウム(写真中央右)、レイ・イームズ(写真右)

1934年、ヴィトラの創業者であるウィリー・フェルバウムは、1906年にバーゼルで設立された店舗什器設備会社を引き継ぎ、妻のエリカ・フェルバウムと共に経営しました。 1950年、彼らはドイツのWeil am Rheinに、Vitra という名前で子会社を設立しました。Vitra AG は、1953年にスイスで小さな家具と家庭用電化製品の製造を目的とした会社として設立されました。

1953年、米国を訪れたウィリー・フェルバウムは、チャールズ&レイ・イームズの家具に出会います。チャールズ&レイ・イームズがデザインしたプライウッドの椅子に感銘をうけた彼は、すぐにイームズ夫妻のもとを訪れ、その後、生涯にわたり変わることのない友情を育みました。家具メーカーとなることを決意したウィリー・フェルバウムは、アメリカのメーカーであるハーマンミラーからヨーロッパ市場向けの製造権の取得を働きかけました。

1957 年にライセンス契約が成立した直後、フェルバウムはヨーロッパ市場に向けてハーマン・ミラー製品の生産を開始しました。このコレクションには、イームズの家具とともにジョージ ネルソンのデザインも含まれていました。

1960年代後半以降、Vitraは、独自の家具ポートフォリオの構築を開始しました。 1967年、数年の開発期間を経て、後ろ脚のないプラスチック製の椅子が生産されました。この製品は、ヴェルナー・パントンによって設計され、パントンチェアとして広く知られるようになります。 1976年、同社初のオフィスチェア、ヴォルフガング ダイシグがデザインしたヴィトラマットが発売されました。

カテゴリHerman Miller Story, Vitra Story

Don Chadwick

2018/11/02 By 片上太朗

ドン・チャドウィック

ドン・チャドウィック

ともに1936年生まれのビル・スタンフとチャドウィックは、オフィス家具史上における最強のデザインデュオ です。

チャドウィックは家具職人である祖父の影響で家具作りに興味を持ち、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で工業デザインを学びました。1976年から1985年にかけては、UCLAで教授として教鞭をとっています。UCLA卒業後、建築事務所で働き、1964年に自身の設計事務所を設立しました。

1974年にHerman Miller社のモジュラー・シーティング・システムを設計し、その後、Herman Miller の元デザイン研究担当副社長である Bill Stumpf と協業がスタートします。

1976年のErgon chair (アーゴン・チェア) 、1984年Equa chair (エクア・チェア) に続いて、スタンフとチャドウィックはハーマンミラー社のパイロットプログラムのなかで「高齢者向けの快適な椅子」の研究に取り組みました。長い時間座っている人が皮膚障害を発症しないようにエアレーションを重視し、通気性の良いテキスタイルを採用したSarah Chair (サラ・チェア) のプロトタイプを開発しました。

このときの経験が後に Pellicle (ペリクル) と呼ばれる織りメッシュのテキスタイルを生み出します。

ペリクル

チャドウィックとスタンフのパートナーシップは、チャドウィックのマテリアルと製造プロセスへのこだわりと、スタンフの人間工学(エルゴノミクス)へのこだわりに基づいていました。

ペリクル アーロンチェア

素材(ペリクルと呼ばれる全く新しいサスペンションテキスタイル)と人間工学(1から99パーセンタイルまでの体にフィットするように設計)は、開発当初から最重要視されていましたが、それに加えて長く使えることも重要でした。 その結果、高度な技術を駆使し、ほぼすべての人に適した、耐久性のあるチェアが完成したのです。

それが、アーロンチェアです。

カテゴリAeron Chair, Herman Miller, Herman Miller Story

Action Office

2018/10/17 By 片上太朗

アクション・オフィス

アクションオフィス

ロバート・プロプストが率いるハーマンミラー・リサーチ・コーポレーションが開発したアクション・オフィス・システム(Action Office I )はジョージ・ネルソンのデザインによって、1964年にハーマンミラーから発表されました。アクション・オフィス・システムは、パネルとそれに付属したコンポ―ネントからなる、世界初のオープン・プランのオフィス・システムでした。

アクション・オフィス

1968年に発表されたハーマンミラーのアクション・オフィス・システム(Action Office II)において、ロバート・プロプストはアクション・オフィス・システムのベースとしてモジュラー・パネルユニットを導入しました。オフィスデザインに革命をもたらすものでした。

アクション・オフィスは、ロバート・プロプストのモダンオフィスに対する様々なアイデアを具現化したプロダクトです。1960年に創立されたハーマンミラー・リサーチ・コーポレーションでは、数学者や行動心理学者を含む様々な分野の研究者の理論を参考対象にしていました。

たとえば、エドワード・T・ホール (文化人類学者) は、“かくれた次元” (1966年) でパーソナルスペースを定義しています。これは、距離によって起こる人間の空間知覚の変化を示した理論です。

1.密接距離 親しい人に許される空間 近接相(0〜15cm)/遠方相(15〜45cm) 2.個体距離 相手の表情が読み取れる空間 近接相(45〜75cm)/遠方相(75〜120cm) 3.社会距離 容易に会話ができる空間 近接相(1.2〜2m)/遠方相(2〜3.5m) 4.公共距離 複数の相手が見渡せる空間 近接相(3.5〜7m)/遠方相(7m以上)

第二次大戦中に進化した軍需産業技術(繊維強化プラスチック)を製品に転用し、チャールズ・イームズは新時代の製品を生み出しました。プロプストは、当時の新しい知覚理論を援用して新時代のオフィス空間を生み出したと言えるかも知れません。

パネルシステムの導入によって距離による知覚は遮断されます。アクション・オフィスは、この遮断機能を利用することでオフィス空間のパーソナルスペースをコントロールしようとした初めての試みでした。

アクション・オフィスは、時間をかけてオフィスが必要とするものになるように、組み合わせたり再結合したりできる一連のコンポーネントとして設計されました。マウス・パッドのデザイナーであるデザイナーのジャック・ケリーは、1960 年代から 1970 年代初頭にかけてプロプストと協力し、多くのアクション・オフィス・コンポーネントのデザインにおいて重要な役割を果たしています。

アクション・オフィスによって人々の実際の働き方に適したワークスペース・ソリューションを実現することが可能になりました。と同時に、オフィスの空間をパーティションで分離し、個々のワークスペースをつくりだすオフィス・スタイル、後に「キュービクル」と呼ばれるスタイルを生み出す契機となります。

アクションオフィス

カテゴリHerman Miller, Herman Miller Story

Bill Stumpf

2018/10/06 By 片上太朗

ビル・スタンフ

Bill Stumpf

ビル・スタンフはウィスコンシン大学の環境デザインセンター大学院で研究したのち、1970年からHerman Miller Research Corporationのスタッフに加わりました。当初はジャック・ケリーのもとでアクション・オフィスの開発に携わっています。「ビルの優れた問題分析能力は、私たちが革新的な製品ソリューションを開発するのに役立ちました」とケリーは語っています。

その後1976年にハーマンミラー初のエルゴノミクス・オフィスチェア Ergon chair (アーゴン・チェア) をデザインパートナーとなるDon Chadwickとともに制作しています。 Ergon chairは、整形外科や血管医学の専門家と協力し人間工学的なアプローチから設計された最初のオフィスチェアでした。Ergon chairは、現在ではオフィスチェアに標準的に装備されているガス圧シリンダーを備えていました。

1979年に人間工学に基づいた着座ソリューションを設計するためにドン・チャドウィックとチームを結成しました。そして登場したのが、Equa chair (エクア・チェア)です。

Equa chairは広範囲のオフィスワーカーのサイズに対応するために3つのサイズで提供された最初のオフィスチェアでした。

1984年にはケリーとオフィスシステム家具 Ethospace (イソスペース)の開発に取組んでいます。ビル・スタンフ と ジャック・ケリー は、コンピューターがオフィスに導入されはじめた当時の状況や変化が、人々のニーズにうまく対応できていないことに気づきました。彼らは、スタンフが言うように「人間の精神を否定する」デザインの例をあまりにも多く見てきました。二人はより良いものを作るために着手しました。

カテゴリAeron Chair, Herman Miller Story

Jack Kelley

2018/10/05 By 片上太朗

ジャック・ケリー

ジャック・ケリー

ジャック・ケリーはミシガン大学を卒業後1961年にデザイン・インターンとしてキャリアをスタートさせました。1962年には、Herman Miller Research Corporationで働き始めます。ケリーは1979年までHerman Miller Research Corporationの設計責任者でした。

1968年、ジャック・ケリーは画期的な新しいコンピュータ用の家具を作るという難問に直面します。ロバート・プロプストの格言「基準を策定するために問題を特定し十分明確にすることができれば、問題を解決するのは簡単である」だけが頼りでした。

スタンフォード研究所(SRI International)に送り込まれたケリーは、研究者のダグラス・エンゲルバートとスタッフにインタビューをして彼らが望むものを感じ取るようにしました。そこで見せられた”マウス”と呼ばれる最先端のインターフェイスにケリーは衝撃をうけました。ただ硬いテーブル表面上でマウスを正確にトレースすることが難しいことに気づいたケリーは、ノーガハイド(人工皮革)を加工して置きました。初めてのマウスパッドが誕生しました。またコンピューターの見栄えがよくないとケリーは感じていました。オールインワン型のモニターとキーボードをセパレートにすることを提案しています。

 

ダグラス・エンゲルバート

ダグラス・エンゲルバートは、1968年にサンフランシスコで”The Mother of All Demos”とのちに呼ばれるようになる歴史的なライブデモンストレーションを行いました。そこで発表された”oN-Line System”には、現代のパーソナルコンピュータの標準的な機能(ウィンドウシステム、ハイパーテキスト、グラフィックス、効率的なナビゲーション、ビデオ会議、マウス、ワープロ)が搭載されていました。このライブデモンストレーションのステージでは、ケリーが提案したようにキーボードはセパレーションされました。ケリーが特別に仕上げたイームズチェアには、キーボードとマウスパッド付のコンソールが付属していました。

なお、エンゲルバートが行ったデモンストレーションと同等の機能をもったパーソナルコンピュータ、Apple社のMacintosh (1984)が登場したのは、その16年後です。マウスが付属する一般的なパーソナルコンピュータの普及には、Microsoft社Windows95まで待たなければなりませんでした。あまりにも先に見て知ってしまった故か、ジャック・ケリーは常人より20〜30年先をいく感覚だったのかも知れません。のちにジャック・ケリーはインタビューで「オフィスの将来はどうなりますか?どのような家具を想像していますか?」と尋ねられ次のよう答えています。「それは心配ないですよ。あなたのシャツにコンピュータのために十分な大きさのポケットがあるでしょ?」

こうした経験をもとにHerman Miller Research Corporationでは、コンピュータの使用を前提としたオフィスワーク製品の開発にも注力してゆきます。

カテゴリHerman Miller Story

Robert Propst

2018/09/28 By 片上太朗

ロバート・プロプスト

ロバート・プロプスト

Herman Miller Research

1921年コロラド州生まれのプロプストは、グラフィックアーティスト、教師、彫刻家として1940年代後半にキャリアを開始しました。 1953年にはデンバーで製品開発専門のPropst社を設立しました。

1960年にはミシガン州アナーバーのHerman Miller Research Divisionの社長に就任。Herman Miller Research Divisionは、のちにHerman Miller Research Corporation となります。就任の際にプロプストは語っています。”現在のオフィスは不毛地帯です。活力を失わせ才能を奪い達成を困難にします。実現されなかった企画やむなしく失敗した努力が常態化しています”

最初のプロジェクトは、20世紀に進化したオフィスの評価でした。特に1960年代にどのように機能したかを評価することが重視されました。プロプストの調査には、人々がオフィスで働く方法、情報の移動方法、オフィスレイアウトが業績にどのように影響を与えるか、について学習することが含まれていました。

研究から20世紀の間に特に処理される情報の量の劇的な増加を考慮して、オフィス環境が大幅に変化したと結論づけました。従業員は日々の業務で、多くの情報の分析と整理をする必要がありました。にもかかわらず、オフィスの基本レイアウトはほとんど変化しておらず、従業員はプライバシーを欠いていた広いオープンルームに昔ながらのデスクを並べ整列していました。プロプストの調査はオープンな環境が、従業員間のコミュニケーションを減らし主体性を妨げていることを示唆していました。プロプストは、「今日のオフィスの残念な状況の1つは、すべての人に同一の決まりきったかたちを提供する傾向です」とコメントしています。さらに、従業員の身体は長時間座っているという状態に苦しんでいました。プロプストは、オフィスワーカーは、彼らが遂行している多くの業務に応じて、プライバシーと相互作用の両方を必要としていると結論づけました。

 

アクション・オフィス II

アクション・オフィス II

この問題に対するプロプストの答えが1968年に発表されたアクション・オフィス II (Action Office II)でした。アクション・オフィス II はオフィスシステム家具に革命を起こしました。アクション・オフィス IIは、モジュラーパネルユニットをベースにしていました。それぞれのコンポーネントは互換性があり標準化され組立とインストールが容易でした。また柔軟性が高くニーズが変化したときに作業環境を変更できることができました。デザイナーのJack Kelleyは、1960年代から1970年代初めまでプロプストと作業し多くのアクション・オフィス・コンポーネントの設計において重要な役割を果たしました。アクション・オフィス・コンポーネントの登場により、アメリカにおけるオフィスの景観は一変することになります。

カテゴリHerman Miller Story

Alexander Girard

2018/09/25 By 片上太朗

アレキサンダー・ジラード

アレキサンダー・ジラード Alexander Girard  1907-1993

アレキサンダー・ジラードはニューヨーク生まれのイタリアのフィレンツェ育ち。イギリスの高校を卒業してロンドンとローマの大学で建築を学んでいます。アメリカに戻ってからはニューヨークにオフィスを開設し、その後デトロイトにオフィスを移転します。1953年にニューメキシコ州のサンタフェにオフィスを移転し、以後生涯この地で過ごします。青少年期に様々な文化の中で成長したことが、ジラード独特の感覚を研ぎ澄ましたのでしょうか。彼のポートレートは、どれも洗練された着こなしで穏やかな微笑みを浮かべています。きっとエレガントかつチャーミングな紳士だったのでしょう。

1952年、ジラードはハーマンミラーのテキスタイル部門のデザインディレクターに就任しました。彼の最初のファブリックコレクションは、ストライプ、サークル、トライアングルなど幾何学的なパターンで構成されています。ジラードは世界各地のフォークアート (宗教、民族性、地域性を背景にした伝統的な形態や様式をもつ作品) に強い関心を寄せ触発されていました。フォークアートに見られる単純なモチーフの反復と変奏は、ジラードのテキスタイルデザイン全般において重要なテーマでした。色と色の組み合わせに対する彼の独創的な感性もフォークアートからの影響を見て取れます。

Textiles & Objects shop

テキスタイルズ&オブジェクツ

1961年にはニューヨークにハーマンミラー初の路面店“テキスタイルズ&オブジェクツ” (T&O) をオープンさせています。ジラードデザインのファブリックに加えてジラードが集めた各地のフォークアートやジラードデザインのオブジェを取り揃えていました。

La Fonda del Sol

SUN

1960年に総合デザインを手掛けた、ニューヨークのタイム・ライフ・ビルにあるメキシコ料理のレストラン、ラ・フォンダ・デル・ソル (La Fonda del Sol)では、店名の太陽をモチーフとしたデザインを多用し、新しい時代のデザインとして称賛されました。ちなみに日本の大阪万博(1970年)で太陽の塔を制作した芸術家・岡本太郎もメキシコでの滞在経験から強いインスピレーションを得ていた言われています。ジラードと岡本太郎が同じ系譜にあると想像すると、とても面白いですね。

Braniff International Airways

ブラニフ航空

1965年にはテキサス州の航空会社、ブラニフ航空(Braniff International Airways)の総合的なリブランディング「The End of the Plain Plane(退屈な飛行機の終焉)」を手掛けています。ベージュ、黄土色、オレンジ、ターコイズ、ベビーブルー、ミディアムブルー、レモンイエローとラベンダーの各色に鮮やかに彩られた機体は、ジェリー・ビーンズ艦隊と呼ばれました。
travelingmen ジラードのテキスタイル・ファブリックは現在も、Maharam (マハラム)のTextiles of the 20th Centuryコレクションとして入手可能です。

カテゴリHerman Miller Story

Charles Eames

2018/09/22 By 片上太朗

チャールズ・イームズ

Molded plywood

Leg Splint

チャールズ・イームズがキャリア初期に心血を注いだのが成型合板 (Molded Plywood) 技術です。ロサンゼルスでMGM映画スタジオの美術スタッフとして働く傍ら独自に合板の成型技術を研究していました。当時は合板成型技術は、まだ新しい技術だったからです。1942年、アメリカ海軍から怪我をした兵士の脚に使用する添木のオーダーが入り事業として成立するようになります。イームズ最初の量産成型合板製品が、このLeg Splint (レッグ・スプリント=脚の添木)でした。イームズはプライフォームド・ウッド社を設立しますが、原材料の供給や資金の問題により、デトロイトのエヴァンス (Evans Products) 社にレッグ・スプリントの製造権・販売権を売却します。イームズもロサンゼルスのエヴァンス支社 (901 Washington Boulevard) に拠点を移します。これにより安定的に製品を製造する地盤が整いました。

1945年、第二次大戦も終わりイームズの成型合板技術を使用した製品は家具業界の人々から注目を浴びます。ジョージ・ネルソンもその一人でした。ネルソンは、D.J.デプリーにイームズとの契約を強く提案します。自分がハーマンミラーと契約しているロイヤリティを削ってでも、と。まずハーマンミラーはエヴァンス社の家具販売権を取得し、のちに家具製造権も取得しています。もともとエヴァンス社は工業製品製造会社で家具販売とは無縁でした。以後、イームズ家具の製造販売はハーマンミラーと密接な関係で進行してゆくことになります。

 

シェル型

シェルチェア

 

イームズは成型合板以外にも、ガラス繊維を使用したFRP (繊維強化プラスチック) や金属のメッシュワイヤーを使用した製品に挑戦しています。この試みは、背と座が一体成型されたシェル (Shell) 型チェアの製品化に腐心した結果といえます。

当初は成型合板でシェル型を実現しようとしたものの当時の技術では困難でした。FRPとメッシュワイヤーでシェル型チェアの製品化にたどり着きました。“We wanted to make the best for the most for the least.” (最小限のもので最高のものをつくりたい) とイームズは語ったそうです。シェル型のチェアも単一の素材またシンプルな構造で成立しています。

現在ではシェル型チェアは見慣れたかたちですが、椅子のかたちの歴史上では怖いくらい革新的な製品です。背と座が一体成型かつ曲面で構成された製品は、イームズ以前に存在していました。しかしそれらの製品の曲面はいずれも二次元曲面に留まっていました。

継ぎ目のない三次元曲面で一体成型されたシェル型チェアは、レッグ・スプリントが怪我をした脚を包み込んだように優しく身体を包み込みます。シンプルで普遍的でありながら大きな革新をもたらした製品です。このかたちが実現できる素材に貪欲にチャレンジし続ける、イームズはそうしたスタンスであったような気がします。

 

イームズCharles Eames 1907-1978

カテゴリEames, Herman Miller, Herman Miller Story

George Nelson

2018/09/21 By 片上太朗

ジョージ・ネルソン

Storagewall

Storagewall

ジョージ・ネルソンはエール大学で建築を学んだのち、1935年にArchitectural Forumという建築雑誌の編集者になりました。 “Tomorrow’s House” (Henry Wrightと共著) という本の中で、ネルソンはStoragewallというコンセプトを発表します。ストレージウォールは、キャビネット/シェルフ/ドロワー/クローゼットからなるモジュール式の壁面収納家具システムでした。

そのコンセプトに興味を持ったD.J.デプリーは、ハーマンミラーのニューヨーク営業担当者に著者とのアポイントメントを指示します。営業担当者は、最初Henry Wrightに連絡をとりますが、ネルソンを紹介されました。デプリーはネルソンとミーティングを行いギルバート・ローディの後任業務の打診をします。

編集者としてキャリアを積んできたネルソンは、デプリーのオファーに当初難色を示したと言われています。しかし、結果としてハーマンミラーのディレクターに就任します。

ジョージ・ネルソンGeorge Nelson 1908-1986

1948年ハーマンミラーコレクションの序文 ジョージ・ネルソンデザイナーの視点から見ると (そしてこの視点のみが私には適切なのですが) ハーマンミラーは、とても優れた会社です。単に企業としてみると、ハーマンミラーはアメリカ国内の何千もの他の企業と区別ができないでしょう。小さな会社で小さな町にあります。その製造設備は十分ですがごく普通です。そして、この会社のオーナーが経営をしています。 (中略) 製品は誠実でなければならない。ハーマンミラーが、ある年代の複製品を製造することを中止してから約12年経ちます。なぜならデザイナーのギルバート・ローディが、伝統的なデザインを模造することは、美学的に不誠実だと経営陣を説得したからです。 (この話を最初は話半分で聞いていましたが、その後の数年でこの話の意味を身をもって知りました) 私たちが何を作るかは私たちが決めます。ハーマンミラーは市場が何を「認める」のかを理解するために、消費者調査や製品の予備テストを実施したことはありません。デザイナーと経営陣が家具の特定の問題に対する解決策を気に入れば、それは製造されます。いわゆる「一般人の好み」という基準に従いません。「一般購買者」を評価する特別に信じている方法もありません。ハーマンミラーのデザインの新鮮さに数多くの人が魅了される理由は、この会社が誰の真似もしていないからなのです。

ネルソンは当初、規模がそれほど大きくない家具メーカーであるにかかわらず、社長以下やたら志の高い人々を前にして少したじろいだような気がします。そう考えると、上記の序文はネルソンが“腹を括った宣言”のようにも思えます。事実、その後ネルソンのもとでハーマンミラーが世に送り出した製品は“誰の真似でもない”ものでした。

ネルソンは製品開発に留まらず、製品を販売するにあたってのマーケティング・アドバタイジング・ブランディングなどすべてをコントロールしていました。それらの表現手法も製品に劣らず斬新なものでした。販売前に消費者テストはしないと言い切る反面、新しい価値を持った製品を人々に正しく伝える手法にかなりの労力を費やしたのではないでしょうか。

カテゴリHerman Miller, Herman Miller Story

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