ジャック・ケリー
ジャック・ケリーはミシガン大学を卒業後1961年にデザイン・インターンとしてキャリアをスタートさせました。1962年には、Herman Miller Research Corporationで働き始めます。ケリーは1979年までHerman Miller Research Corporationの設計責任者でした。
1968年、ジャック・ケリーは画期的な新しいコンピュータ用の家具を作るという難問に直面します。ロバート・プロプストの格言「基準を策定するために問題を特定し十分明確にすることができれば、問題を解決するのは簡単である」だけが頼りでした。
スタンフォード研究所(SRI International)に送り込まれたケリーは、研究者のダグラス・エンゲルバートとスタッフにインタビューをして彼らが望むものを感じ取るようにしました。そこで見せられた”マウス”と呼ばれる最先端のインターフェイスにケリーは衝撃をうけました。ただ硬いテーブル表面上でマウスを正確にトレースすることが難しいことに気づいたケリーは、ノーガハイド(人工皮革)を加工して置きました。初めてのマウスパッドが誕生しました。またコンピューターの見栄えがよくないとケリーは感じていました。オールインワン型のモニターとキーボードをセパレートにすることを提案しています。
ダグラス・エンゲルバートは、1968年にサンフランシスコで”The Mother of All Demos”とのちに呼ばれるようになる歴史的なライブデモンストレーションを行いました。そこで発表された”oN-Line System”には、現代のパーソナルコンピュータの標準的な機能(ウィンドウシステム、ハイパーテキスト、グラフィックス、効率的なナビゲーション、ビデオ会議、マウス、ワープロ)が搭載されていました。このライブデモンストレーションのステージでは、ケリーが提案したようにキーボードはセパレーションされました。ケリーが特別に仕上げたイームズチェアには、キーボードとマウスパッド付のコンソールが付属していました。
なお、エンゲルバートが行ったデモンストレーションと同等の機能をもったパーソナルコンピュータ、Apple社のMacintosh (1984)が登場したのは、その16年後です。マウスが付属する一般的なパーソナルコンピュータの普及には、Microsoft社Windows95まで待たなければなりませんでした。あまりにも先に見て知ってしまった故か、ジャック・ケリーは常人より20〜30年先をいく感覚だったのかも知れません。のちにジャック・ケリーはインタビューで「オフィスの将来はどうなりますか?どのような家具を想像していますか?」と尋ねられ次のよう答えています。「それは心配ないですよ。あなたのシャツにコンピュータのために十分な大きさのポケットがあるでしょ?」
こうした経験をもとにHerman Miller Research Corporationでは、コンピュータの使用を前提としたオフィスワーク製品の開発にも注力してゆきます。