アレキサンダー・ジラード
Alexander Girard 1907-1993
アレキサンダー・ジラードはニューヨーク生まれのイタリアのフィレンツェ育ち。イギリスの高校を卒業してロンドンとローマの大学で建築を学んでいます。アメリカに戻ってからはニューヨークにオフィスを開設し、その後デトロイトにオフィスを移転します。1953年にニューメキシコ州のサンタフェにオフィスを移転し、以後生涯この地で過ごします。青少年期に様々な文化の中で成長したことが、ジラード独特の感覚を研ぎ澄ましたのでしょうか。彼のポートレートは、どれも洗練された着こなしで穏やかな微笑みを浮かべています。きっとエレガントかつチャーミングな紳士だったのでしょう。
1952年、ジラードはハーマンミラーのテキスタイル部門のデザインディレクターに就任しました。彼の最初のファブリックコレクションは、ストライプ、サークル、トライアングルなど幾何学的なパターンで構成されています。ジラードは世界各地のフォークアート (宗教、民族性、地域性を背景にした伝統的な形態や様式をもつ作品) に強い関心を寄せ触発されていました。フォークアートに見られる単純なモチーフの反復と変奏は、ジラードのテキスタイルデザイン全般において重要なテーマでした。色と色の組み合わせに対する彼の独創的な感性もフォークアートからの影響を見て取れます。
Textiles & Objects shop
1961年にはニューヨークにハーマンミラー初の路面店“テキスタイルズ&オブジェクツ” (T&O) をオープンさせています。ジラードデザインのファブリックに加えてジラードが集めた各地のフォークアートやジラードデザインのオブジェを取り揃えていました。
La Fonda del Sol
1960年に総合デザインを手掛けた、ニューヨークのタイム・ライフ・ビルにあるメキシコ料理のレストラン、ラ・フォンダ・デル・ソル (La Fonda del Sol)では、店名の太陽をモチーフとしたデザインを多用し、新しい時代のデザインとして称賛されました。ちなみに日本の大阪万博(1970年)で太陽の塔を制作した芸術家・岡本太郎もメキシコでの滞在経験から強いインスピレーションを得ていた言われています。ジラードと岡本太郎が同じ系譜にあると想像すると、とても面白いですね。
Braniff International Airways
1965年にはテキサス州の航空会社、ブラニフ航空(Braniff International Airways)の総合的なリブランディング「The End of the Plain Plane(退屈な飛行機の終焉)」を手掛けています。ベージュ、黄土色、オレンジ、ターコイズ、ベビーブルー、ミディアムブルー、レモンイエローとラベンダーの各色に鮮やかに彩られた機体は、ジェリー・ビーンズ艦隊と呼ばれました。
ジラードのテキスタイル・ファブリックは現在も、Maharam (マハラム)のTextiles of the 20th Centuryコレクションとして入手可能です。