チャールズ・イームズ
Molded plywood
チャールズ・イームズがキャリア初期に心血を注いだのが成型合板 (Molded Plywood) 技術です。ロサンゼルスでMGM映画スタジオの美術スタッフとして働く傍ら独自に合板の成型技術を研究していました。当時は合板成型技術は、まだ新しい技術だったからです。1942年、アメリカ海軍から怪我をした兵士の脚に使用する添木のオーダーが入り事業として成立するようになります。イームズ最初の量産成型合板製品が、このLeg Splint (レッグ・スプリント=脚の添木)でした。イームズはプライフォームド・ウッド社を設立しますが、原材料の供給や資金の問題により、デトロイトのエヴァンス (Evans Products) 社にレッグ・スプリントの製造権・販売権を売却します。イームズもロサンゼルスのエヴァンス支社 (901 Washington Boulevard) に拠点を移します。これにより安定的に製品を製造する地盤が整いました。
1945年、第二次大戦も終わりイームズの成型合板技術を使用した製品は家具業界の人々から注目を浴びます。ジョージ・ネルソンもその一人でした。ネルソンは、D.J.デプリーにイームズとの契約を強く提案します。自分がハーマンミラーと契約しているロイヤリティを削ってでも、と。まずハーマンミラーはエヴァンス社の家具販売権を取得し、のちに家具製造権も取得しています。もともとエヴァンス社は工業製品製造会社で家具販売とは無縁でした。以後、イームズ家具の製造販売はハーマンミラーと密接な関係で進行してゆくことになります。
シェル型
イームズは成型合板以外にも、ガラス繊維を使用したFRP (繊維強化プラスチック) や金属のメッシュワイヤーを使用した製品に挑戦しています。この試みは、背と座が一体成型されたシェル (Shell) 型チェアの製品化に腐心した結果といえます。
当初は成型合板でシェル型を実現しようとしたものの当時の技術では困難でした。FRPとメッシュワイヤーでシェル型チェアの製品化にたどり着きました。“We wanted to make the best for the most for the least.” (最小限のもので最高のものをつくりたい) とイームズは語ったそうです。シェル型のチェアも単一の素材またシンプルな構造で成立しています。
現在ではシェル型チェアは見慣れたかたちですが、椅子のかたちの歴史上では怖いくらい革新的な製品です。背と座が一体成型かつ曲面で構成された製品は、イームズ以前に存在していました。しかしそれらの製品の曲面はいずれも二次元曲面に留まっていました。
継ぎ目のない三次元曲面で一体成型されたシェル型チェアは、レッグ・スプリントが怪我をした脚を包み込んだように優しく身体を包み込みます。シンプルで普遍的でありながら大きな革新をもたらした製品です。このかたちが実現できる素材に貪欲にチャレンジし続ける、イームズはそうしたスタンスであったような気がします。
Charles Eames 1907-1978